夢のつづきは

生きてゆくことの半分は 壁にぶちあたるばかりだ

神ちゃんの言葉から考える「優しい人」

昔から頭で考えるよりも直感で動くタイプ。やりたいと思ったことは絶対にしますね。その代わり優しい人でいたい。

 


BRUTUSの3月号で神ちゃんがそんな発言をしていたのを、雑誌を読み返していて思い出した。

もう十分すぎるくらい優しいと思うのに、それでもなお、優しい人でいたい。と言う神ちゃんが、神ちゃんらしくて好きだ。

 

 

実際、優しい人でいるって、めちゃくちゃ難しいと思う。
だって、優しい人=いい人ではないから。

 

いい人は所詮“いい人”であって、それ以上でもそれ以下でもない。

 


よく、優しいと甘いの違いという議論がなされる。
優しい人は、他人に対する思いやりがあって、自己犠牲を厭わない人。誰かが道を逸れてしまったときに、そっちは違うよ、間違ってるよって、ちゃんと叱って連れ戻してくれる人。
甘い人は、人の言うことをなんでも受け入れて、いいよいいよって許しちゃう人。自分の中の芯がなくて、自分に対して生ぬるくて、都合のいい人。

 

自分に厳しく、時には人にも厳しい。それが優しさだって言う人もいる。

確かにそれも優しさの定義としては正しい。

 

でも優しさってそれだけじゃない。
"だれかの感情に寄り添える"ことも、優しさだと思うんだ。


神ちゃんが言ってるのは、この、感情に寄り添える人なんじゃないかなって、誠に勝手ながら私はそう解釈しました。

 

 

感情に寄り添う優しさも、これまた難しい。

 

例えば友人から相談事を持ち掛けられたとする。しかもそれが結構重大な相談。

神妙な面持ちで話す友人を前に、「どうしよう」「自分に何かできることはないか」と思い悩む。話を聞き終えてあれこれ考えるけど、いちばんいい言葉が見つからない。

だから「話聞くくらいしかできないけど、何かできることがあったらいつでも頼ってね」と参考書の構文のようなセリフを口にしてしまう。

 

そんなうっすいことしか言えない自分に腹が立ったりする。

 

でも寄り添う優しさも度が過ぎれば、恩着せがましい、鬱陶しい、おせっかいだと思われることもわかっている。でも相手はあんなに悩んでいるんだから…と考え始めたらきりがないので、そう言ってしまったことはもう仕方ない!と割り切る能力を取得したほうが自分も負のスパイラルに陥らずに済むと最近思い始めました。

 

結局問題を抱えているのは、自分ではなく相手。問題を解決できるのは、自分ではなく相手。 自分は相手が悩みの渦から抜け出せなくなって、立ち上がれなくなっているところで、手を引いてあげたり、立ち上がるのを支えてあげることしかできない。相手の問題を自分が解決しようなんておこがましいにも程がある。

 

そう考えると「話聞くくらいしかできない」という言葉が一番最善だし、「相手の話を聞く」という行為がすでに相手に寄り添えてるんじゃないかなって。自分に余裕がなかったら、相手の話なんて聞いていられない思うから。

 

自分に余裕がある人、こんな自分やけど、と自分を受け入れて愛せる人。

それを「優しい人」っていうのかなと、私は結論を出しました。

 

自分の感情に丁寧に寄り添える人は、相手の感情にも丁寧に寄り添える。それは感情に対する寄り添い方を知ってるからだ。

 

 

そんな「優しい人でいたい」と言う神ちゃんを、素敵な人だなと思う。尊敬する。

 

 

 


明日は今日よりもすこしだけ、優しい人でいたいと、そう思って生きたい。